不正はギタドラのガンだ。について

僕は代行とか多人数とか、そういう不正行為がキライだ。

彼のブログの見出しはこの一文から始まる。

ここまでであれば思想の自由の範疇であるが、彼の書いた記事はこれにとどまる事なく、「そういう人たちには論理が通用しないので、何を言っても無駄だ。」、「僕が人生でmaimaiを遊ぶことは無いだろう。」等の関係の無い人間の心理を逆撫でするような文章を書いていることは明らか。

そしてこのような記事を書き、周りから記事を消すように、謝罪をするように勧められるもなう(2020/07/09 07:32:58)現在、記事は削除されていないし、謝罪もしていない。

この記事では何故あたかも氏は親の仇とも言えるような執着で代行を嫌うのか、また代行の正当性を主張していこうと思う。

 

相対的要素

そもそも音ゲーは楽器を模したゲームがルーツである。太鼓、ドラム、ギター、DJ、キーボード

そしてその楽器のいずれも委託(代行)を行う事は慣例化している

筆者は元々インディーズのスタジオミュージシャンであり、各方面のバンドやアーティストから「このデモ音源に基いてドラムを叩いて欲しい」、「ここ難しくてレコーディングだとミスが目立つから代行して」と言ったようなやりとりは日常茶飯事で行われる。

なので、自分が音ゲーを始めて代行して一部界隈からバッシングを受けた時は驚きを隠さなかったのは覚えている。

例えるならアメリカ人の自分が日本人の友人宅に土足で上がり込んで怒られるような心境に近いかも知れない。

しかしこれは郷に入らば郷に従えと言う理屈が通用するが、音楽業界の委託に関してはただの良き文化であり、そもそも誰も困らないので普通に受け入れるべきである。と筆者は思う。

 

排他的要素

音ゲーは上に書いた通り、音楽業界の文化を独自の正義から迫害しており、故に音楽業界も音ゲーという存在を認めているとは言えない。

こういった背景から、音ゲーマーは音楽の楽しみ方を根本的に間違えている。しかもいわゆるミュージックとは疎遠なので正してくれる者も居ない。

こうした背景は長年常に積み重なり、お互いの理解を深めることは時間の経過に比例して難儀になっていっている。

まずは新参である音ゲーマーから音楽に歩み寄り、ミュージックシーンを享受することがお互いの誤解を解く最短手段である。

 

何故委託は許されないのか

この回答に行き着くのには非常に苦労した。そんなこと言ってたら良い音楽が出来ないじゃないか、音楽を1人でやれというのか、等散々葛藤したが、ある日1つのヒントに辿り着いた。

明らかに実力を逸脱した代行は駄目

音ゲーにはスキル、段位、レートと言った自身のゲームの実力指数がある。最近のゲームは得意な傾向まで詳細に出る物もある。ドラム初心者がDave Wecklに依頼したらドラムが浮いてしまうような現象を音ゲーマーは嫌うのかもしれない。

しかし、良い音楽を作る為に手段は選ばない自分としては正直未だに青天の霹靂と言った心境である。

我々スタミュードラマーも♩=250の16分フットワークなんて言ったらトリガーを使うのが慣例だし、レコーディングで何十時間も同じ箇所で躓いていたら予定が押してしまいます。

ですのでライブでちゃんと形にできるようなプレイしかしないし、精度を求められるレコーディングでは委託するのは自然なことであるが、音ゲーマーはこれを不正プレイヤーという烙印を押すらしい。我々は当たり前のことを当たり前にやっているだけなのに。

 

まとめ

・明らかに実力に相応しくない代行は駄目、やるなら自分で塗り替えられる範囲で!

・例え話で他界隈を引き出してディスるのも駄目!うちはうち、他所は他所!

・知らない文化を頭ごなしに否定しない!郷に入らば郷に従え!

・人の気持ちを考えて文章を書こう!画面の向こうには生身の人間が居るよ!